チコです。
10月のイベント参加も落ち着いたので、
今日はいつもとちょっと違う内容です。
(イベントの最中にUPするには、
水を差すような内容なので少しずらしました。)
ごく私的なことで申し訳なくもあるのですが。。。
僕たちの店名の由来にもなっている愛犬マメチコですが、
彼女が家にくる前に、飼っていた犬がいました。
マメチコに負けず劣らずの個性派で、
ほぼ20年間(!)一緒に過ごしたその子は、
3年前の10月15日、一足先に出かけて行きました。
昔のことをすぐ忘れてしまう僕ですが、
あの子との記憶は、今も鮮明に思い出すことができますし、
その度に心に穴が空いたような気持ちになります。
亡くしてからしばらく、ぼんやりと過ごしていた僕は、
仕事中、探していた資料のなかから一つの広告を目にします。
死ぬのが恐いから
飼わないなんて、
言わないで欲しい。
おうちを汚すから飼わないというなら、
犬はお行儀を身につけることができる。
留守がちだから飼わないというなら、
犬はけなげにも、孤独と向きあおうと努力する
かもしれない。
貧乏だから飼わないというなら、
犬はきっといっしょに貧乏を楽しんでくれる。
だけど・・・死ぬのが恐いからって言われたら、
犬はもうお手上げだ。すべての犬は永遠じゃない。
いつかはいなくなる。でもそれまでは、
すごく生きている。すごく生きているよ。
たぶん今日も、日本中の犬たちはすごく生きていて、
飼い主たちは、大変であつくるしくって、
幸せな時間を共有してるはず。
飼いたいけど飼わないという人がいたら、
伝えて欲しい。犬たちは、
あなたを悲しませるためにやっては来ない。
あなたを微笑ませるためだけにやって来るのだと。
どこかの神様から、ムクムクしたあったかい命を
預かってみるのは、人に与えられた、
素朴であって高尚な楽しみでありますよと。
僕は涙を堪えるのに必死でした。
この広告は
とくに愛犬を失った人に向けたものではないけれど、
僕にはそうとう響きました。
言葉の力は「聞かせる」よりも「読ませる」ことで、
何倍にも強くなるのだと思います。
ちなみに、この雑誌広告はコピーライター「児島令子」氏の手によるものです。
氏は他にも、「ココロはコロコロ変わらない。」や
「あした、なに着て生きていく?」など、
多くの秀逸なコピーを生み出している方で、
この広告もまた、当時の「コピー年鑑2004」で賞を取っています。
3年がたってようやく思えるようになったことがあります。
あの出来事がなければ、
店名の由来にもなっている「マメチコ」を飼うことはなかっただろうし、
僕たちの「雑貨屋マメチコ」というお店は誕生しなかったかもしれません。
死そのものは悲しいです。
同じ時間を過ごすことはもうできません。
誰かを失ったばかりの人に、
かけることのできる言葉は一つもないと僕は思いますが、
それを越えることで繋がる「可能性」だけはあることが
救いなんだと思います。